不整脈治療記



  2002年6月29日午後、フットサルの最中に突然息が苦しくなった。
  脈が異常に早く、しかも、力がない。血圧が下がり眩暈もする。
  30分たっても収まる気配がなく、意識も何度か失いかけたため、
  救急車で病院に運ばれる。結局そのときは病院に到達する前の
  救急車の中で症状は治まり、病院では心電図を取っただけで
  終わりだった。

  社会人になったあと、軽い不整脈がつづき数年前に心電図をはじめて取り、
  WPW症候群と診断される。説明によると、心臓内に生まれつき、正常な電気刺激
  の伝導路のほかに、副伝導路と呼ばれる組織が存在し、何かの拍子に心臓を動かす
  電気刺激が、副伝導路を通ってまた正常な伝導路に戻ってきてしまう現象が起き、
  それが起きると、頻脈(頻拍)発作(脈が異常に速くなる)症状がでるとのこと。
  私の場合は、1分間に、200〜250回にもなる。体自体が健康体なら命に別状は
  ない病気らしいが、これが何度も起きるようだと堪ったものではない。

  中学生時代に脈が異常に速くなった記憶が何度かあるが、それ以降は起こっておらず
  検査後にもらった薬を数日間飲んだだけで、心電図上の異常も数年間消えていたため、
  その病気の存在をすっかり忘れてしまっていた。そのため、6月29日の件は、精神的にも
  かなり堪えるものになってしまった。
  

  2日後の7月1日から1日に何度も発作が起きるようになり、たまらず以前検査を行った
  かかりつけの循環器系の病院にかかり、とりあえず「サンリズム」という抗不整脈薬を
  処方してもらう。これで、症状は落ち着いたはずだが、精神的に恐怖を覚えているため、
  少し脈に異常があると、恐怖心が増幅→体調が変調(眩暈や呼吸の異常など)→
  そのストレスからさらに脈が乱れる・・・
という悪循環に陥る。
  堪らず、またかかりつけの病院に駆け込み、そこで、カテーテル・アブレーションを受けて
  こいと、心臓内科に強いある某大学付属病院の先生(助教授)を紹介してもらう。
  カテーテル・アブレーションとは、足や首などの付け根から数本のカテーテルを動脈や
  静脈経由で心臓に挿入し、副伝導路を焼ききる治療のこと。ここ数年、不整脈治療
  では第1選択になりつつあるほど安全性と効果が高いらしい。

  1ヵ月後、紹介状をもって某大学付属病院に行き、カテーテル・アブレーションの説明も受ける。
  一種の手術だから、合併症状などで最悪死に至る場合もあるってことを理解するように
  といわれる。(最近は、合併症状による最悪のケースでも医療ミスだと騒がれるため、
  このあたりの理解は徹底したいようだ)
  先生の診察をうけ治療方針を決め、しばらくは薬(サンリズム)で様子を見ることになった。
  このときに、しかし、恐怖心からくる悪循環はさらに悪くなりその後、相談をしたところ、
  「デパス」という精神安定剤を処方される。これでしばらく経過観察となった。

  1ヵ月後、心電図、心エコー、トレッドミルなどの検査を行い、症状も落ち着いて大きな異常は
  なくなっていて、精神安定剤により、恐怖心も幾分和らいだが、「薬を止めると再発する」という
  恐怖が残っている。結局、1ヵ月後に、カテーテル・アブレーションを受ける決心をする。この病院
  の実績と、難治性不整脈の治療にも威力を発揮する最新機材を使用しているのが、決断の理由
  だが・・・やはり、怖い。入院から、退院までの様子は時系列で記述する。
  

入院、治療記
 (※ ここの病院は看護士、看護婦ひっくるめて「看護士」って呼んでるようです。
    字は間違ってるかもしれませんが)

2002/10/8 13:30 入院手続き
病棟に入る(循環器病棟が改装中で糖尿病病棟に入る)
15:30 病棟主治医が紹介される。若い男性と女性1人ずつだが、
男性の方はこのとき以降姿を見ていない。
(年齢が私と同じぐらい(30前ぐらい)だけど、大丈夫なのだろうか・・・)
病棟主治医からカテーテルアブレーションの説明
    事前の血液検査で、肝機能障害が見つかり再度血液検査を受けることに。
    障害が残っているようなら、手術は中止となる。肝臓を壊すようなことをした覚え    がないため、
    飲んでいた、抗不整脈薬や精神安定剤のせいか・・。
16:30 看護士による血液検査、体温測定、問診。
    主治医による、抗生剤のアレルギーチェック(注射2本)、心電図、診察 
17:00 レントゲン撮影
18:00 夕食
19:00 入浴&鼠蹊部(足の付け根)の剃毛
20:00 手術の時間が翌午前9時と伝えられる。肝機能障害は、若干あるようだが問題ないとのこと。
20:30 時間変更 翌午後13:00に変更になる。
21:00 消灯。早すぎて眠れない。結局隣の人のいびきがすごくて一睡も出来ず。
2002/10/9 6:00 起床
7:30 朝食。半分だけ食べるように指示される。これ以降、飲食禁止。
8:30 看護士による朝の回診。体温、血圧、脈拍数を測る。
9:00 12:00までやることなく、落ち着かないので病棟内を歩き回る。
どうせなら、寝ぼけている朝のうちにやって欲しかった・・。
いろいろ考えてしまい、不安が増幅される・・。
12:00 主治医と看護士がくる。
12:10 バルーン(導尿するためのゴム製の管)を挿入。
  やり取り
  主治医: そんじゃ、バルーンを挿入します(^-^)。
  わたし: それ・・いたいんでしょ・・(”;)?(一番太いところで直径1.5cm
        ぐらいありそうだ)
  主治医: 男の人はとても痛いらしいね(^-^)。(看護士さんと顔を見合い
        ながら曰く)
        (ちなみに看護士も主治医も私と同じぐらいの世代の女性)
  主治医: じゃ、消毒してください。
  看護士: はい(^-^)。
        (消毒を念入りにしています)
  主治医: 一応麻酔しておきますね(^-^)。
  わたし: はい・・。(尿道の出口にゼリー状の麻酔をたらすだけ。
       効くわけがない・・)
  主治医: んじゃ、入れてください(^-^)。
       (看護士によって、一気に挿入される)
  わたし: ・・・!! 「○%△&X@<?*ゞ仝♂♀∞∴≠!!!!!!!」
  主治医: 痛かった? 女の私たちには全然わからないんだけどね(^-^)。
  わたし: ・・・・・・・(T_T)。

バルーン挿入後、その名前のとおり、中で膨らませているためしばらくは、
膀胱がいっぱいで、オモラシしそうな感覚があって気持ち悪い。1時間もすると慣れてくる。
12:20 点滴をうつ。普通の点滴の液と、カテーテルからの感染症を防ぐための抗生剤をうつ。
12:50 ストレッチャー(移動用ベッド)に移り、検査室(レントゲン室っぽいところ)へ。
13:00 検査室のベッドへうつる。
体中にいろんな電極見たいなものをつけられる。
背中に(心臓のあたり)、20センチ四方ぐらいの青いものをはる。
左足首に血圧計をまく。その間に、いろいろな機材や薬剤を準備。
しばらく暇なので、カテーテルの技師や、検査室の看護士と雑談。
点滴しているところから注射で、いろいろな薬を注入されている。
外来で診察を受けている医師(助教授)が現れる。

     助教授: 今日で、病気が1つ治りますよ。がんばりましょう。
     わたし: そう願いたいです・・。
     助教授: だいじょうぶ。精神を落ち着かせる薬を注入してる。そろそろ
          眠くなってきたでしょう?
     わたし: ・・?全然です。(この手の薬はあまり私には効かない)
     助教授: え? んじゃ、もう少し打っておこう。
13:30 鼠蹊部をイソジンらしき液体で消毒。
両鼠蹊部を麻酔。左側があまり効かずかなり余分に麻酔をする。
右足にシース(カテーテルを挿入するための管みたいなもの?)を2本挿入
左足にシースを挿入。
13:45 カテーテルを右足3本、左足から1本ほど挿入。両足とも静脈に挿入。
右足に3本目が入ったときに、はっきりとカテーテルが体の中を這っていくのが感じられた。血管が破れないか不安になる。
(脈を作るもの、心臓内心電図?をとるもの、造影剤を流し込むものと思われる。)
13:55 ペーシング(カテーテルから電気信号を送り無理やり、心臓を動かす)を行う。
心臓が変にドキドキする。(ペーシングの脈と自分の脈の違いは、検査室内に流れる「ピッ、ピッ」って音の違いで区別がつく)

即座に異常が発生。
   助教授: それじゃ、ペーシングを行います。・・ん?あれ?発作か??
     
左足からさらに1本挿入される。これが、心臓に達したときにかなりの痛みが・・。
   わたし: 痛いんですが・・。(看護士を通じて助教授に伝わる)
   助教授: (技師に向かって)CS(冠静脈洞?)に入りすぎてないか?
   技師 : 少し動かします。
    
   痛みから解放される。
14:00 再度ペーシング。頻脈発作が起こる。

     助教授: よく起こる発作はこれですか?
     わたし: そうです。
     助教授: う〜ん、すごい簡単に起こりますね。

ペーシングにより発作を誘発する作業が、30分ほど何度も繰り返される。
14:30 カテーテルの先から銃みたいな機械を使用し、造影剤を流し込む。
上半身がものすごく熱くなる。その後、正面に見えるモニターに
カテーテルが何本も入った心臓の画像が目の悪いわたしも見えた。
14:35 ペーシングにより発作を誘発させ、場所の特定作業にはいる。これがまた30分ぐらい。
15:05 場所が特定されたようだ。

     助教授: よし、じゃあ、焼きましょう。

右足から、太いカテーテル(アブレーションカテーテル)が挿入される。
・・が、静脈経由で動脈がわにある患部にはとどかず。

     助教授: ロングシースを。
     技師 : ロングシース○番を。・・・また麻酔しますよ。
15:15 左足からアブレーションカテーテルが抜かれ、右足にもう一本シースを打ち込まれる。
動脈に打ち込んだようだ。そこから再度アブレーションカテーテルが挿入される。
15:20 アブレーションカテーテルが患部に到達。
体の中を這っていくのがよくわかって非常に気持ち悪い。

1回目のアブレーション。が、カテーテルがずれて失敗。
15:25 2回目のアブレーション。発作が起きた状態での処置のため激痛が走り中断。
3回目のアブレーション。カテーテルがずれて失敗。
15:30 4回目のアブレーション。発作状態だが痛みに耐え、焼きつづける。30秒以上たっても切れない。中断。
5回目のアブレーション。痛みのため体をよじり、カテーテルがずれて失敗。
15:35 6回目のアブレーション。発作状態。痛いがひたすら我慢。1分以上たっても切れない・・。1分15秒。何とか切れたようだ。
この後、ペーシングを何度か行い、発作起こそうとするが起きない。
15:45 30分間放置。焼いてすぐに、焼ききった組織が再生してしまうことがあるらしく、30分おいて再度検査をする。
16:15 再検査。何度もペーシングを行い、発作が起きないことを確認する。このときに、副交感神経?を刺激する薬を注入し、運動時と同じような状況を作り、発作が起きないことも確認する。
16:30 検査終了。カテーテル、シースが抜かれ、主治医や技師による圧迫止血が行われる。

  助教授: これで病気が1つ治りましたね。結構簡単に発作が起きるから、
        今まで大変だったんじゃないんですか?
  わたし: う〜ん・・全力で運動しているときにしかひどい発作は起きなかった
       んですけどねぇ・・。軽い発作はよくおきましたが。
  助教授: そうですか。
  看護士: ずいぶん落ち着いてましたね。男の人はみんなビクビクして落ち
        着かないのに。
  わたし: いや〜(^_^;)・・(充分怖かったわ・・)。・・腹減った〜・・・。
  看護士: あら? ずいぶん余裕ですね。
  わたし: 朝飯半分、昼飯抜き、安静で晩飯食えないし・・・・(T_T)。
  看護士: あはは・・しょうがないですね・・。お仕事は何をしてるんですか・・・
   ・・・雑談がつづく。
17:00 包帯を巻かれ、ストレッチャーに移され病棟に戻る。上半身ぐらいは起こしてもいいだろうと思って少し動かしたら、助教授から怒られた。腹圧によって血が噴出す恐れがあるからやめろと・・そういえば動脈に穴あけたんだっけ・・。  ・・・ってことは、安静の時間が長くなる・・・。
17:30 病棟で、教授から両親に状況説明。その間に、採血、心電図、心エコーの検査を行う。どうやら異常はないらしい。心電図を見たが、手術前の心電図と明らかに違う。
この後しばらく安静。
18:00 夕食。体を動かせないため、食事できず。一応、とっておいてもらう。
18:30 バファリン81mgという、血液をさらさらにする薬が処方される。
19:00 ベッドの中途半端な硬さが良くなく、激しい腰痛が出始める。安静のため寝返りがうてない。
21:00 消灯。さっさと寝て腰の痛みを忘れようとするが、痛すぎてとても眠れる状態じゃない。
21:30 我慢の限界を超えて巡回中の看護士に訴える。23:00から寝返りをうってもいいとのこと・・あと1時間半もある・・。
22:00 手を腰に当てるなど、あらゆる手段を尽くすが痛みがとれない。
22:30 見かねた看護士が2人がかりで、傷口に負担がかからないように体の向きを変えてくれたが、痛みはおさまらない。
必死で姿勢を維持しようと、両手で手すりをつかんでいたら点滴が逆流。チューブの中が真っ赤に。
23:00 寝返りOKに。とっておいてもらった夕食を看護士の手で口に運んでもらう。
看護士が傷口周辺を確認。左足の付け根に大量の出血の跡がみられるとのこと。
いつ出血したのだろうか?
23:30 寝返りOKだが、傷口周辺を強く圧迫されているのと、ひどい腰痛で思い通りに寝返りが打てなくなっていた。
24:00 点滴を交換。
2002/10/10 6:00 結局2日連続で一睡も出来ず・・・。ベッドの上で起き上がることが認められる。座った状態で、朝食まで居眠り・・。
8:00 朝食。何とか自力で食べられる。
9:00 主治医による回診。包帯をとり、傷口をチェック。どうやらふさがっているようだ。昨晩見つかった出血の跡も、手術時のもののようだ。これで、安静解除が認められ、バルーンが抜かれる。傷口周辺を消毒し、圧迫用包帯をまく。点滴が抜かれる。これでようやく動ける。とりあえずトイレへ。が・・なかなか、尿が出ない。尿道がつまっている感じで痛い。ようやく出たと思ったら・・・・けっ血尿だ〜〜!! この痛みは丸1日消えなかった。
9:30 看護士による回診。体温と血圧、脈拍数をはかる。
10:00 傷口が圧迫されている状態のうえ、昨晩の腰痛のおかげで歩いても足が上がらなかったが、なんとか、売店へ行き、雑誌を購入。
12:00 昼食。かなり楽な姿勢で取れるようになった。
13:00 しばらく昼寝。ようやく楽な姿勢で眠れる。
18:00 夕食。
19:00 薬剤師がくる。
21:00 消灯。就寝。
2002/10/11 6:00 起床。なんか変な脈が・・。でも、発作に繋がらない・・。やはり、アブレーションの効果はあったようだ。
8:00 朝食。
9:00 主治医の回診。傷口チェック。かさぶたになっているため、包帯をはずす。大きいバンソウコウだけに。傷口の状態は・・、左足が、5mmぐらいの大きさのが1つ。右足には、5mmぐらいのが3つあるだけ。
最終的にはきれいに消えてしまいそうだ。
10:00 入浴。消毒液や、血で汚れた足の付け根を洗っているときに、左足付け根に、「ピリッ」っと痛みが・・
顔面蒼白に・・・。でも血が出ていない。よく見ると、かさぶたが割れている。その下に新しい皮膚が出来ている。
大丈夫そうだ・・(^。^;)ホッ。
10:30 看護士による回診。体温、血圧、脈を測る。
  看護士: あれ、もしかして退院??
  わたし: いえ、明日です。
  看護士: ああびっくりした。循環器科の患者って、突然退院しちゃうんですよ・・。
  わたし: ははは(^_^;) (内科手術だったらそうだろうな・・・)
11:00 圧迫もなく、腰痛もおさまってきたため、病院中を歩き回る。暇でしょうがない。
変な脈(期外収縮という正常な人でも起こる不整脈)が何度か起きているが、そこから、発作に繋がらないところがありがたい。
12:00 昼食。
13:00 ひたすら病院内を歩き回るか、昼寝。
15:00 薬剤師が来て、1か月分のバファリン(熱さまし、痛み止めではなく、血液をさらさらにする薬・・・でも、アスピリンダイアルミネート剤だから同じかな?)を置いていく。
18:00 夕食。
21:00 消灯。やっと明日退院だ。
2002/10/12 5:00 早々目がさめる。ヒゲをそり、顔を洗う。
6:00 寒い外の喫煙所に行き、一服。外の空気は気持ちいいなぁ。
7:00 身の回りを片付け、退院準備。
8:00 朝食。
9:00 看護士による回診。体温、血圧、脈を測る。
9:30 心電図をとる。異常なし。
10:30 合併症の有無を確認するためMRI検査を受ける。
CTのように体の中を輪切りにして見る検査のようだが、放射線を使うCTよりは安全なものらしい。
しかし、がちゃこんがちゃこん非常にうるさい機械だった。
12:00 検査終了。
12:30 退院手続きを行う。
13:00 病棟のナースステーションに退院手続き完了届をだして、退院。



その後の経過

  ・手術の跡
   傷跡は、小さいためほとんど目立たない。
   それよりも、私の場合、圧迫した場所が大きなあざとなって長く残っている。
   (右足、左足ともに2箇所ずつ、最大で幅5cm、長さ10cmほど)
  ・安静時の脈拍がだいぶ減っています。入院前:70〜80/分 退院後:55〜60/分。
  ・軽い運動時(ウォーキング、ジョギング)の脈拍が全然違う。
    入院前:ドキドキしているのが手首などを触らなくてもわかる。
    退院後:手首などを触らないとドキドキしているのがわからない。
          こちらが正常らしいが、20年以上、異常な状態が自分にとって普通だったため
         非常に違和感がある。全力で運動したときはどんな感じになるのだろうか・・。

  ・時々、軽い発作のような状態が起こり、脈拍がおかしくなったり、ふらふらしたり、血の気が
   引いたりする。が、脈自体はすぐに安定するので、心臓の異常というよりは、精神的な部分
   でまだ回復していないのだと思う。これは時間をかけて解決するしかなさそうだ・・。

  ・10/25に外来診療をうけ、心電図を取ったが異常はない。
   半年後(4月)に一通りの検査を行うことになった。ここで異常がなければ、完治とみていいかも
   しれない。


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